教育改革の最先端 「夢みる校長先生2025」

先日湯河原で行われた、オオタ ヴィン 監督の「夢みる大人のイトリート」前半のみですが、参加させて頂きました。素晴らしい機会をありがとうございました。
まず最初に、今年2月に小田原三の丸ホールで自主上映させて頂いた、
「夢みる校長先生」
の最新版が上映されました。新しく追加された「夢みる教育長」の皆さんの教育改革は驚くほど思い切った内容で、日本の教育が変わりつつあるのを感じとても嬉しく思います。
特に東京都渋谷区の30代の教育長が行った改革は「シブヤ未来科」というプロジェクトで、子どもたちが実際の社会課題に触れ、問いを立てて学ぶ「探究学習(プロジェクト型学び)」を全区で広げ、2024年度以降、午後の授業全部を探究学習「シブヤ未来科」に充てるというものです。
子供の主体性な学びを大切にしていく授業で、先生たちも答えのない問いや、課題に一緒に向き合っていく姿は戸惑いながらも生き生きとしていて素敵でした。
教育者にとって、ワクワクしながら自らの才能を爆発させて成長していく子供達の姿を見るのはかけがえのない喜びだと思うのです。学校にはここが絶対的に必要です。
子供の頃、決まった答えを暗記して、決まった法則を一生懸命に覚える勉強は、特に興味のない教科においてはつまらなくうんざりしませんでしたか?
主体性を持ってもっと幅広い視点で学べる授業が増えれば、きっと学校嫌いだった子供たちもどんどん学校が好きになります。
そして自分を知り、自信をつけ自分を大好きになっていきます。理想的であり、今の時代に必要な教育が東京のど真ん中で始まっているというのはこれからの教育が変わっていく兆候、本当に希望を感じます。
先日小田原の教育委員会の不登校担当の職員とミーティングがありましたが、教育に対する予算が足りないことを嘆いておられました。「やりたい気持ちがあってもやれない」ということです。子供の教育は未来を作ります。ぜひ議会でもたくさん取り上げて頂き、大切な教育の分野に惜しみなく予算をつけて頂けることを願います。
富国強兵
上映会の後は映画出演者たちが登壇され、ヴィンさんのファシリテートでクロストークが行われました。
そこで今の学校教育が明治以降から始まったという話が出ました。今の教育がどういう流れで始まったかを知ることも大切だなぁと感じます。
明治政府が目指したのが「富国強兵」と「文明開化」というのもあり、教育はヨーロッパ、特にドイツとフランスをモデルに作られました。その要素となったのが
- フランス式:中央集権的で国家主導の教育(文部省主導の全国統一カリキュラム)
- ドイツ式:厳格な教師養成制度と道徳教育(規律・忠誠・勤勉)
「富国強兵・・・・」
当時の日本政府としては、鎖国明けの日本を諸外国に負けない国にすることが最優先だったのですね。地の時代は戦いの時代であり奪い合いの時代。
そして今、令和は「風の時代」です。軽やかに、自分らしく、自由に生きる時代。人生観、教育観のアップデートも早急に行いたいです。
特に、「主体性」についてはこれまでの教育ではなかなか育たなかったように思います。「いかにみんなと同じことがより上手にできるか・・・」みたいなことが求められ、自分らしさはあまり評価をされてこなかった気がします。みんなと同じことができないというだけで、評価は下がり、その子らしさはどんどん失われる教育だったのではないでしょうか?
そして、その教育の目的は「有事の際には国の指示に従う人材作り」であったように思います。
子供達に対して「お国のために」と戦争に向かわせた教育です。その根本が変わらないままでいいのでしょうか?
早急に教育観の改革が必要です。
「夢をみる」
「夢」は寝ている時に見るものと、起きている時に描くものがあります。
クロストークの最後の方で、日本で将来の夢を持っている子供が、他の国の子供達に比べて圧倒的に少ないという統計が出ているというお話がでました。
そこである方から、「夢って持っていないといけないの?」と投げかけがありました。そう言われれば、そんなこともないよね。という空気が流れました。
具体的に「何になりたい」という夢は必ずしも必要ではない。日常生活で見る些細な夢に気がついてみると、私たちはいつも「夢」をみていてその都度現実に叶えていっている。つまり私たちは毎日「日常の小さな夢」を見ることで現実世界を作り出している事に気づく。
そして毎瞬毎秒夢を叶えているのだ。
「じゃあどんな夢を見たいだろうか?」右へ習えの学校教育の中で育った私たちはなかなか大それた「夢」は見れなくなってしまっている。子供達が自由に自分の世界を「夢みる」ためには、
「今を存分に体感し、喜び遊ぶこと」
が必要だというお話になりました。その自由な時間を十分に作ってあげることが、これからはとても大切なのだと思います。そして私たち大人も「夢みる大人」になって喜び遊ぶことで、自分らしい素敵な「夢」を見続けたいです。
まさに今、教育を問い直す時期に来ています。
現代社会に必要な教育とは、誰かを導くことではなく、一人一人にふさわしい夢を共に探していくこと、そして見つかったら共にその夢を見ていくことかもしれません。
その夢がどんな形であれ、愛を持って受け入れてくれる環境があれば、子供たちはのびのびと自由に、「自分」というスペシャリストになっていくのだと思います。
