~Message from Terra #4 ― 本当の自分であれ ―~

全てが一本の道でつながっている・・・

そんな中で、我が国の国歌「君が代」と向き合う機会が訪れました。

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「君が代」の歴史と愛国心につい

前回のflowerbed.earthのライブで、いつも聴きに来てくれる大切なお友達から「君が代」のリクエストがありました。

その時はびっくりしましたが、何だか今歌いたい、歌わなければいけない気がしています。

「君が代(きみがよ)」は、平安時代にまとめられた『古今和歌集』に由来する歌で、当時の「君」という言葉は天皇だけでなく、主人や友人、恋人といった“大切な人”を意味していました。

歌の内容は、愛する人の長寿や繁栄を祈る普遍的な祝福の歌であり、「さざれ石が巌となり、苔がむすまで」という自然の営みに重ねた表現には、変わらぬ安定と平和を願う心が込められています。

やがて時が経つと、「君」は次第に天皇を指すものと解されるようになりました。

明治以降は学校教育や儀式を通じて「天皇の御代の繁栄を祝う歌」として広まります。

戦前には教科書でもその意味が明記され、国民生活に深く根付いていきましたが、戦後のGHQ占領下では「天皇を神格化する表現」とみなされ、一時は歌うことが禁止されます。

その後、主権回復とともに再び国歌のように歌われるようになり、1999年には「国旗及び国歌に関する法律」によって正式に国歌と定められました。現在の政府見解では「日本の末永い繁栄と平和を祈る歌」とされています。

 一方で、出口王仁三郎の「大本」などの宗教的な解釈では、「君」を天皇に限定せず、

”宇宙を司る根源神や人々を導く“大いなる存在”

ととらえ、「君が代」を世界平和と人類の繁栄を祈る霊的な歌と位置づけています。こうした見方は、古代和歌本来の「大切な人を祝福する心」とも響き合い、私の中ではこちらの解釈がとてもしっくりときています。

 世界で最も古い歌詞を持ち、また最も短い国歌の一つである「君が代」は、時代ごとに「君」の意味を変えながらも、根底にあるのは「大切なものが永遠に続くことを願う祈り」です。

 

 歴史的に軍国主義の象徴として葬られ、私たち世代の中ではまだまだ「君が代」に対する違和感が根強く,否定的に感じている方も多いとお思いますが、国に対する否定感を持つと、自分に対する肯定感も同時に奪い取りかねないように感じます。私自身がそうだったように・・・

特に子ども達には学校で習う歴史だけが真実ではなく、隠された真実、歴史も存在し、各国から慕われている私たちのご先祖様の偉業、愛の活動を知ってもらうと共に、自信を持って素晴らしい国であると言える「愛国心」を育んでもらいたいなぁと思います。

 そしてこの不穏な社会において、最も大切なことは「本当の自分を知ること」

そのためには私たち大人が、隠された真実に気づき、ネット社会の始まる前に教えられ、刷り込まれてきた事に疑いの目を持つこと、目の前の世界を自分の目でしっかり見る事のような気がします。

私たちは、社会の中の力なき弱者ではなく、幸せになる権利とそのための力を十分に持っている。

優しい世界は戦いの先にあるのではなく愛と調和の先にあると願います。

「地球の歌」 ~Message from Terra~

by kozykozyman.

色々な活動の間に、私自身の志命である歌うことも全身全霊を注ぎ、且つご機嫌でやっています。      

それはそれは私にとっては至福の時間であり、私自身の自我をほどいて、かつ内なる宇宙である真我と繋がって行われる祈りのようなものだと感じています。

 2年ぶりに、新しい曲たちを集めたアルバム制作に入っています。

歌っているのは「地球の歌」~messages from Terra~ です。

私たちの生きるこの星からたくさんのメッセージが届いています。それらが私を通して

溢れ出てきているような氣がします。それぞれの曲はさまざまな角度から「宇宙の愛」を表しているみたいです。

 最新曲「君が君でありますように」で歌っているのは、出会う人たちがそれぞれの本質を大切にしている、またはその本質である宇宙の愛の一雫が光り輝いているのを感じた時の感動、ときめきです。その制作過程は、私が私であるために必要のないものを削ぎ落としていく時間でもあった気がしています。 

「本当の自分であれ」


──それがTerraが私たちに今、静かに伝えているメッセージ。
そしてその声は、全ての人の胸の奥でも確かに響いているのだと思います。

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