②私が常識的であることを辞めた日

子供と勉強
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中学受験

長男が小学校4年生の時、中学受験を意識し算数の得意だった彼に中学受験問題集をやらせてみることにしました。まだ親の勧めることに対してやってみようとしてくれる時代でしたので、チャレンジングでありながらも楽しく問題集に取り組めていました。

そこから小5になった時には家庭教師に来てもらい早めに6年生の内容を終わらせ、2学期には塾にも通い始めました。

そもそも彼に中学受験を望んだのは

「地元の中学は良くない噂を聞くから行かせたくない」

という家族の心配からでした。

当時私は進学塾母体の英語教室を運営していたので、中学受験の情報はたくさん入ってきていました。しかし「この子にとってそれが本当にいいのか?」という疑問をずっと持ったまま家族の希望に応えるために受験の準備を進めていきました。

今思えば、適正という点において息子が受験勉強に向いているとは思えなかったのに、それについては見て見ぬふりをして家族の希望通りの母親の役割を演じている自分がいました。

「常識」や、「こうあるべき」に縛られてやたらと忙しくしていたその時の私は、自分の感覚を信じるという気力を持っていませんでした。

その後小6に入って息子の塾に対する嫌悪感が酷くなり、「もう辞めた方がいい」とやっとそこで判断できました。塾を辞めると、息子は気が抜けたように学校にもいきたがらなくなってしまいました。当時お友達との関係も難しい面がありその事でも学校に対するモチベーションが一気になくなってしまった息子はいわゆる「不登校」という状態になっていきました。

その頃私は音楽活動を少しずつ再開して日々歌を歌う時間を持つようになっていました。

私にとっては歌う事は生きること、、、そういう私の生き生きした部分を子供達が感じないわけはなかったと思います。自覚はないにしても多大な影響を与えていたに違いありません。

母親がキラキラし始めたのですから、、、

私自身が解放されていくにつれて、あらゆる物事に対する見方が自然に変わっていきました。

常識を破る母

ある朝、息子がやはり学校に行けずにいるのを家族が怒りの感情を持って眺めている事に気がついた私は、さっと準備させ学校に行くふりをして、彼を海に連れていきました。海までのドライブの間、

自分が本当に行きたくなければ学校は行かなくてもいい事、

自分の感情に素直になっていい事、

嘘だってついていい事

を伝えました。そして、

彼を愛しているという事、それから人生は楽しむべきだという事も。

それは、息子にだけではなく自分自身に言っていたように思います。アインシュタインの名言で

「常識とは18歳までに身につけた偏見である」

と言う言葉があります。

それを20代の時には知っていたし、自分の現実に投影させていました。

自分を忘れてしまった十数年の間に「常識や他人の価値観」に合わせて生きるようになってしまった自分に、その時やっと気がついたのです。

子供を産み育てるということは、「自分よりも守りたいと思うもの」ができると言う事です。

そしてその思いが強ければ、あらゆる危険から子供を守るためにいろんな事を先回りしてやろうとしてしまう。そのような、子供への愛と世界に対する不安が混ざり合った複雑な感情が生まれてしまう事は多々あります。私達母親自身がその親世代に不安からの指導を受けてきているのですから仕方ありません。

まず自分自身のバックグラウンドに少し目を向けて、自分自身を客観的に見る事、自分を知る事が私達には大切な事のように思います。自己愛を取り戻す事から始めましょう。

そしてこれまでとても頑張ってきた自分を認め、癒す。そういう過程が多くのお母さんには必要だと思います。

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