戦後日本の教育システム

日本の教育
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戦後日本の西洋化


戦後日本は西洋化が進み大きく発展してはきましたが, それと共に日本独自の文化や風習など様々なものを忘れ去ってしまいました。

メディアからの情報は私達を西洋的なものに憧れるように誘導し、食事、ファッション、音楽、映画などあらゆる場面で西洋的なものがより好まれていきました。そして私達は、西洋的である事が「かっこいいこと」であるような感覚を持つようになっていく・・・

幼い頃、実家で一緒に暮らしていたおばあちゃんは日本舞踊の先生をしていました。

長唄や小唄等普通の家庭では聞かないであろう「日本の古い歌」を聴く機会は多かったのだけれど、そこにあまり魅力を感じなかった。学校のお友達と同じようにテレビで流れてくる歌謡曲の方に興味を持っていました。日本の伝統を身近に感じつつもそれを誇りに思ったり、馴染みを持てるような環境ではなかったように思います。日本の古い唄は「お年寄りが好む唄」としての認識しかありませんでした。

私は中学生ぐらいから洋楽を楽しむようになり、大学を中退しアメリカ、ニューオリンズに留学しました。

そこで私が一番驚いたことは、自分が自国に興味がなく、あまりにも無知で、日本を愛していないという事実でした。日本にいるときには全く考えもしなかったのですが、海外に出て他国の若者に会うと、皆普通に自国への愛国心を持っていて自国の文化に誇りを持っているという事を知り、自分には全くそこが欠けている事に気づいたのです。

そこで、なぜ自分は愛国心のかけらもないのだろう?と、とても不思議に思いました。

戦後の日本はあらゆる側面で西洋にコントロールされ、日本らしさや日本文化は蔑ろにされてしまったようです。日本の文化、精神性の高さを「脅威」であると判断された為、意図的にそちらには目を向けないように仕向けられたという話も聞こえてきます。

日本には素晴らしい文化があり知られざる神聖な歴史があることは語られてこなかった。昨今、その秘密がたくさんの方々によって語られはじめているのは私達日本人にとってとても貴重で、喜ばしい事だと思います。

日本の学校教育

自国の素晴らしさを教えられなかった私達はそれでも和を重んじるという心は残っていました。
そこにトップダウン方式の学校や会社などがピッタリとはまる。

学校では皆と同じようにできる事がとても大切な個人の資質となる。言われた事をその通りにできると褒められる。そこからはみ出したものは何であれ、間違いであり攻撃の対象となる。
そういう社会の中では個性的であることはとても難しい事でした。

時代が変わり、風の時代へと移行した今、個性が尊ばれ、個性的である事にやっと光が当たり始めるようになってきました。他者との違いを認め合い、「みんな違ってみんないい」という言葉を聞くようになり、そこに未来への大きな希望を見る事ができます。

ただ学校という社会はどうでしょうか?

個性を生かす、違いを認めるような学校がたくさんできているのはとても素晴らしいですよね。ただ公立の学校では私たちの子どもの頃とあまり変わらないシステムが残っています。

決まった事を皆と同じようにできなければダメという世界です。

新しい魂を持った子供達にとっては、とても窮屈で辛いことです。
2020年の調査では、小学校〜高校までの不登校の生徒数は239,178名となっています。
今ではもっと多いのではないでしょうか。義務教育を見直す時がきているように思います。

親である私達も、その事実を時代の流れとして知っておきたいですね。

私達が育った縦社会のゆがみが明らかになってきています。子供達が学校に行くことが当たり前であるというのは固定概念です。「そうとは限らないかもしれない。」と少し今までの信念を緩めてみるのはどうでしょうか? 今では色々な選択肢が広がっています。

「学校に行きたくない」と子供が話してくれた時には是非ゆっくりお話を聞いてあげて下さい。
もしくはそっと受け入れてあげて下さい。それは全く大したことではなく、いけないサインを出してくれる子供は、逆に今という時代に敏感な目覚めた魂かもしれません。

自分の常識を疑い、当たり前の事に相対すような子供の声にも耳を傾けていきたいです。

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