「袖振り合うも多生の縁」
東京へ向かう、いつもの圏央道に入る少し手前。
運転しながら聴いていたYouTubeの会話の中から、ある言葉が流れてきました。
「袖振り合うも多生の縁」
その意味を聞いて、私は耳を疑いました。
「多少の縁」ではなく、「多生の縁」。
つまり、何度も繰り返す命の生まれ変わりの中で、私たちは出会っている。
今ここにあるご縁は、今生だけのものではないというのです。
それは、私の大好きな映画監督の一人、白鳥哲監督のお話でした。
お恥ずかしながら、それまで私は「多少の縁」だと思い込んでいました。
「少しばかりご縁がありますよね」
そのくらいの意味だと思っていたのです。
きっと、誰もがどこかで聞いたことのある言葉。
そんな身近なことわざの中に、これほど霊性を重んじる意味が宿っていたこと。
そして、それを当たり前のように受け継いできた日本語の霊性の高さに、心が震えました。
この感動を忘れたくなくて、私は思わずパーキングエリアに入り、車を停めました。
そのまま白鳥監督のお話を聴いていると、今度は、
「死をかけて生きる」
という言葉が聞こえてきました。
もう、胸の震えが止まりませんでした。
そしてその場で、一気に歌詞が湧き上がってきたのです。
このところ、ご縁を深く感じている「魂の家族」たちを憶いながら。
そして同時にサビのメロディーも聞こえていたので、歌って録音に残しておきました。
満月の夜に
その夜からスタジオワークが続いたため、浮かんだ言葉をしばらく自分の中で熟成させました。
家に帰ってからは、この曲を愛をもって育てるような数日間が始まりました。
そして二日目の満月の夜。
月にまつわる思いを添えて、曲が完成しました。
「魂の家族たちへの愛。」
そして、自らの
「今生の物語への愛」にあふれた曲。
「あなたへ」
この曲の中で歌う「あなた」は、目の前にいる大切な人であり、この曲を聴いてくれるすべての人です。
この地球に生まれてきた、すべての魂。
私とつながっている、すべての存在へ。
そして、歌詞に登場する「君」と「ぼく」。
「ぼく」は私でもあり、あなたでもある。
「私」は「あなた」でもある。
そんな歌です。
私の中には、私自身の物語があります。
この歌が、聴いてくださる誰かの物語の一部と重なり、静かに共鳴しますように。

