2026年 夏の思い出
本当に久しぶりに、息子と海へ出かけた。
プロゲーマー&YouTuberという超現代人な肩書きを持つ彼なのだけれど、実は野生児。
いつも行く真鶴半島の「琴ヶ浜」という岩場に着くと、波は荒く、風も強い。さすがに今日は危険だろうと、誰が見ても思うような海の様子だった。
見るからにがっかりして、テンションが下がる息子を連れて、南向きの番場浦海岸の方へ行ってみた。
波は少しあるものの、だいぶ穏やかで、十分に入れる海。
それを目の前にして大興奮した息子は、着て帰る予定だった服を脱ぎ忘れ、その上からウェットスーツを着て海へ突入してしまった・・・。

そして、ほぼ一日、海の中でシュノーケリングや泳ぎ、釣りを楽しんだ。
いつもこんな感じで、夢中になると目の前のことしか見えなくなる。
いろんなところに忘れ物もしてくる・・・。
なんとも危なっかしい彼なのだが、そういうところも、顔も、私によく似ている・・・。
多くの方のお世話になり、「ありがたい、ありがたい」と感謝しながら生きる人生になればよいなぁ・・・と思っている。
生かされていることを痛感しながら生きる。
本当は、みんなそうなのだけれど、大人になると、それを忘れて勘違いしてしまう時期もある。
私も完全に「皆様のおかげ」で、こんなふうに好きなことをする人生に突入している。
すべての人が、私の物語を創ってくれている。
こう言うと、「え???」と思われてしまうかもしれない。
けれど実際、私の物語——私の人生は、私が何を経験し、何を感じるかによって、その景色が創られていく。
人生とは、それらの経験を通して霊的に成長していく旅であり、ゲームのようなものだと感じている。
そう思うと、出会うすべての人々に対して、感謝しか湧いてこないのです。
本当にありがとうございます。
地球人として生きる
今日、友人が送ってくれたYouTube動画を見ていて、いろいろなことを思い出した。
そこで語られていたのは、戦前から戦後にかけて、表舞台に立つことなく日本を牽引してきたという、謎に満ちた人物——仲小路彰という人のお話だった。
その中で、仲小路彰が「地球人」として物事を考えることの大切さを唱えていたと知り、私は、もう十数年前に亡くなった古い友人のことを思い出した。
私に「地球人として生きる」ということを教えてくれたのは、30年ぐらい前、メキシコで出会ったあの人だった。
とんでもない経歴の持ち主ではあったのだけれど、不思議と人を惹きつけ、周りには仲間が集まり、あの当時、富士山や沖縄でシャーマンの儀式を行っていた。
変わり者だった・・・。
その頃の私には、彼が語ることのすべてを理解できていたわけではない。
けれど、「国や人種という枠を超えて、地球人として生きる」という感覚は、あれからずっと私の中に残っていたのだと思う。
そして今日、まったく別の時代を生きた仲小路彰という人物の言葉を通して、もう一度その記憶が呼び起こされた。
でも今、見渡してみれば、多くの方々が世界中でシャーマニックな文化や歴史の大切さに氣づき、霊的なものや宇宙的なものとのつながりを取り戻す道を探求し、どんどん示してくれている。
ありがたい時代であり、それぐらい今、人類にとって霊的な成長が必要とされている時代なのだと思う。
とっても面白いし、ワクワクする。
もちろん、現実社会で起きていることを見渡せば、非常に危うさを感じるのも確かではある。
それらはもう、理性だけでは解決できない領域に入ってきている。
「理性の揺らぎ」・・・。
そんな本があったなぁ。
何かを、誰かを、どうにかしようとすることは到底難しい。
そして、そこには否定や、やもすれば怒りの感情が織り交ぜられている。
それでは、同じことが繰り返される・・・。
善と悪の対立。
幼い頃、眠りにつくのが一苦労だった・・・。
なぜかというと、いつも眠る前に、一つの訓練が待っていた。
目を閉じると、漆黒の闇が現れる。
そして、その闇に対して念じると、今度は眩しいくらいに真っ白な世界へと変わる。
もう一度念じると、また闇に戻る・・・。
これを何度も繰り返していると、そのうちに少しずつ灰色が見え始める。
そして最後に、それがうまくいくと、居心地のよい灰色の世界——黒でも白でもない世界が現れる。
そこに至ると、やっと眠りに落ちるのだ。
どれくらいこの訓練をしていたのかは覚えていないけれど、たぶん小学校低学年の頃には、すでにやっていた。
白でも黒でもない世界を創る練習をしていたみたいだ・・・。
力まず、緩やかに、創造する。
それがヒントなのかも知れない。
