伊勢へ向かう旅の前に、大切な昔からのお友達を訪ねて岐阜にいきました。その途中、岐阜県中津川市付知町にある「おんぽいの湯」の露天風呂に浸かりながら、倭姫命の歩みと、これまでの自分の人生を重ねていた記録です。
岐阜 おんぽいの湯で
明日、私は初めて伊勢の神宮を訪れます。
外宮、内宮と、そして倭姫宮へ。
この旅を前に、倭姫命について調べながら、ずっと心惹かれています。
倭姫命は、第十一代・垂仁天皇の皇女。
天照大御神をお祀りするにふさわしい地を求め、各地を巡り、長い歳月をかけて伊勢の地へと辿り着いたと伝えられています。
先代の豊鍬入姫命から大切な役目を受け継ぎ、ただひたすらに、神意にかなう地を求めて歩き続けた倭姫命。
その旅は、約40年にも及んだといわれています。
40年――。
その時間の長さを思うと、胸がいっぱいになります。
すぐには答えが見つからなくても、目の前に示されるものを受け取りながら、次の地へ、また次の地へ。
「ここなのだろうか」
「まだ先なのだろうか」
きっと、計り知れない大きな意図に導かれながら、一歩ずつ歩まれたのでしょう。
今日、露天風呂に浸かりながら、その倭姫命の歩みと、これまでの自分の人生を重ねていました。
子供達の愛に支えられた 辛かった時期
私は子どもを産み、育てる中で、音楽活動から離れていた時期があります。
その年月は約17年。
その間は無我夢中で子育てと日々の生活に全てを捧げ、音楽活動どころか、自分のことは後回しで、自分のための時間をとることは殆どなかったように思います。
倭姫命が約40年もの歳月をかけて、天照大御神のお鎮まりになる地を探し続けたことを思った時、私の過ごした17年間もとても大切な時間だったと改めて思いました。
子どもたちと向き合い、家族と生き、喜び、悩み、迷い、ときには自分を見失いながらも、目の前の命を懸命に守り育んできた時間。
それもまた、今の場所へ辿り着くために必要なとても大切な時間だったなぁと思うのです。
子供と共にこの世界で右往左往していた時期、子供から受け取った愛は計り知れないけれど、この社会からの、当たり前や、普通を良しとする風潮は私の魂を少しずつ澱ませていきました。そして、何とも表現し難い違和感に押しつぶされそうになっていきました。
その苦しい時期があったおかげで、自分の魂がお鎮まりになる本当の場所を強く求め始めたのだと思います。私が本当に生きる場所。
私が私のままで、人とつながり、自然とつながり、大いなる源とつながって生きられる場所。
そう考えると、遠回りに見えた出来事も、迷い続けた時間も、すべてが一本の道につながっているように思えます。
子どもたちを育てた17年があったからこそ、今の私が歌える歌がある。
不登校という出来事があったからこそ、出会えた人たちがいる。
思うように進まなかった時間があったからこそ、深く沈んでいた本当の私が悲痛な叫び声をあげ始めた。「このままでは私がやりにきたことができない!」
そして、私の中から生まれてくる音楽は、ただ自分を表現するためだけのものではありません。祈りであり、種まきであり、誰かが自分自身を思い出すための小さな灯であってほしい。
そんな願いが、私の中にあります。
倭姫命は、最初から伊勢という答えを知っていたのでしょうか。
それとも、一つひとつの出会いや出来事を受け取りながら、少しずつ導かれていったのでしょうか。
もし後者なのだとしたら、それは私たちの人生と、とてもよく似ています。
今いる場所が、最終地点ではありません。
なぜこの出来事が起きているのか・・・その時にはわからないかもしれないけれど、自分の内側に響くものを大切にして、魂の燃える方へ歩いていく。
その一歩一歩が、いつか「ここだったのだ」とわかる場所へ、私たちを運んでくれるのかもしれません。
私は、神道とは「神様を外側に探すためのもの」だけではなく、私たち一人ひとりが、大いなる源と本来ひとつであることを思い出す道なのではないかと感じています。
神様と人。
自然と人。
あなたと私。
別々に見えているけれど、本当はひとつの大きな命の中にいる。
それを思い出すために、祈りがあり、祝詞があり、神宮があり、そして音楽があるのかもしれません。
明日、私は伊勢へ向かいます。
