人を変えることはできないし、そもそも変える必要もない
一つの考え方があり自分にとってそれがどんなに正しく感じても、自分の主観からは逃れられないので、それが誰にとっても正しいとは限らない。そしてどうしても伝えたいのなら愛と誠意を持ってその人のタイミングを待つしかないなぁと当たり前のことを今日も痛感しています。
トーキョーコーヒーを始めることにしてから、家の中でたくさん話す機会が増えました。
子供も大人もひっくるめて、起こったこと、考えていること、感じていることを話しているうちに、みんなの中にも色々なことが浮かび上がっているようです。自然と、大切なことを話し合う機会もできてありがたいなぁと思っています。
我が家には子供たちが3人いるので、それはそれはバラエティーに富んだ子育て生活を送らせて頂いています。三者三様。 今でこそ落ち着いて平和な時間を過ごさせて頂いていますが、それはそれは激しい戦いの時期もありました。
「不登校」といわれる子供たちがお家にいる場合、どの家庭も何かしらの難しさがあると思います。でもそれは私たちが立ち止まって考え始める機会を産み、何かを調整しなければいけないことに気がつきます。そんなチャンスをもらえたことに心から感謝です。
「人を変えることはできないし、そもそも変える必要もない」と痛感するのは、私にとって多分世界で一番伝えたい娘に私の見ている世界、感じている愛の世界がなかなか伝わらないからです。
他人様だったら諦めがつくのですが、愛娘なのでね。なかなか諦めもつかないわけです。
今朝も寝ていると色々と事情があり早朝に娘からの電話で起こされました。今の私はとてつもなく心に余裕があるので(笑)今日は何をもたらしてくれるのかぁなんて半分ウキウキしながら車を走らせると、それはそれは美しい朝焼けが・・・・・
橋の上で車を止めてパシャ!
「あ〜最高の朝焼けが見れたなぁ・・・ほんと感謝しかない」と思いながら低音のきいた車のスピーカーで出来立ての新曲「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」を大きめに鳴らしながら娘を迎えにいきました。
彼女の話はとても聞いていられないなぁと思う事も多いのですが、それが彼女の生きている世界。そこからなかなか抜け出せなくて苦しくて家族に(特に私)八つ当たりすることが多かったのです。今日もそんな様子を運転しながらじーっと観察し、話に耳を傾けていました。
でもなんて表現すればいいのか難しいのですが、・・・声色にうっすらとかかるいつもとは違う波動がありました。
簡単にいうと少し反省しているのかな?と感じました。彼女の話に何も言わずじーっと耳を傾けていると、彼女自身の声だけが響く、それを客観的に聞いたのかな?と思うような瞬間がありました。
人は絶対に変わっていきます。変わらないでいる方が難しい。それを家族として、母として愛を持って見守っている。愛で包み込むことしか私にはできないなぁと今日も痛感。
数年前、彼女とのやりとりで私は神経をすり減らせ、何度も「死」が脳裏によぎり、その度に「生きる」を選択してきました。それはそれは辛い時期だった。でもなかなか気づけなかったのは、みんなが私を可哀想だと決めつけていたからなのではないかな?と今振り返り思っています。もちろんそれみんなが私を愛していたからです。彼女を「悪」とすることで私を慰めていた。そうなると、どんどんそういう「可哀想な自分」を自分の中に確立させ閉じ込めてしまいます。
数年経って振り返った時、彼女とのやりとりから貴重な学びがたくさんあり、彼女のわがままに振り回されることで自分を俯瞰してみたり、思いがけず一人になれたり、自分の中の固定概念に気付けたりしたのです。
全部意味があった・・・・それに気がつくまではしんどい時期もありましたが本当に今では感謝しかないのです。
今朝は帰ってきてそのままヨガをする時間も取れて、しばらく流せていなかったものを流すことができたのは本当に良かったです。しばらくヨガができていないと確実に詰まってきて身体のどこかに不調のサインが出る・・・創作活動が面白いとき、夢中になりすぎて寝る間も食べる間も惜しんで創作しているので「そろそろ流して〜」と固まった身体が訴えかけていた。ちょうどそんな時だった。ここのところ身体のケアが全くできていなかった私に無理矢理にでもその機会を作ってくれる宇宙の愛を感じます。
夢が叶う
今朝上の文章を書いたのですが、先ほど夢が叶いました。
昨夜の人間関係のゴタゴタで疲れストレスで胃が痛くなってしまっていた娘、寝たいのに神経が立って寝れないと疲れ切った声。そんな娘にオイルマッサージを頼まれ、ほんの少しだけ背中を流してあげました。
自分の世界にしがみつき、傷つき苦しんでいた娘でしたが、そんな世界を楽しみ、自分の世界を否定されることが大嫌いで、数年前は私が少し異を唱えようものなら激怒するのが常でした。そんな娘が先ほど
「ここから連れ出してほしい・・・」
と自分が選んできた世界を出たいという意思を伝えてきたのです。すがるような弱々しさもありましたが、今の場所から一歩外へ出ようとする意思が見えました。
見栄を張り外側の美しさを追求し、誰かと比べて負けないように見せかけの自分を作っていく。他者からの評価、そこに幸せがある。そんな世界観を手放せるかもしれない。
自らを身体としての自覚だけしかなく、その身体も自分の所有物として蔑ろにし、ボロボロになるまで好きに使ってきた彼女ですが、それらの「遊び」をやり尽くす必要があったのだろうと今になってみれば思います。学びの道は人それぞれ、誰にも計り知れない。自分で選んでいるのですから。
いつもこうだと決めたら私がいくら反対しても貫く、その結果を思い悩むより今の衝動に従う。周りのことなんて考えていない。ある意味ものすごい熱量を持った子供でした。体験して痛い目にあってそこから学ぶ。まさにまさにそれを実践しているような10代でした。
来年は彼女にとってとても穏やかな年になる。そう感じています。 やはり世界は美しく、優しい 感謝・・・