自然の一部として在ること。
自然豊かな地球で、地球の子供達として育まれ、のびのびと好きな事をし、再びギリギリの世界を築いてしまった私たち・・・
今の時代、メッセージはほとばしる水の如く あちらこちらから流れてきていますね
結ばれる命のバトン バースドゥーラお話し会(2024,7/13)
人は誰もが女性から生まれています
あなたは、ご自身の本音を大切にしていますか?
あなたは、本心の選択を尊重されていますか?
「心と身体の本心の声」に耳を澄まし、
産みにまつわる自由と尊厳を大切にする事で、
優しい世界は必ず広がる。
チラシに書いてあるメッセージがスーッと胸に染み込む。
私も最近「優しい世界」をイメージしている。
これまで、厳しく辛い時代を生き延びた私たちは「辛さ」や「厳しさ」の中に正義や正しさが在るように錯覚してしまうことがあります。
優しくていい。柔らかくていい。緩んでいたい・・・本当にそう感じる今日この頃。
身体は自然そのものです。
私たちがいくら左脳で考えて理論的に、効率的に進もうとしても、宇宙とつながるこの器(身体)は、自然そのものとして反応を出すことで私たちにたくさんのメッセージをくれています。本当にありがたい。
音楽を再開する前の私の身体も強烈なメッセージをくれました。突然喘息になり、死と隣り合わせのような呼吸困難と対峙させられ、2ヶ月ほど毎晩眠れぬ夜を過ごしました。
自分の身体と向き合うことはこれまでも大切にしてきましたが、お産の大切さを再認識できた今回の 「バースドゥーラお話会」はまたひとつ私の中で閉じかけていた扉を開けてくれることになりました。
5月のライブで初めてお会いした講師の章鼓(あきこ)さんは、とにかく美しくて・・・ 天女のように舞う姿を眺め、うっとりとしながら歌いました。「あの方にもう一度お会いしたい」と思い連絡をとらせて頂いたところ近く神奈川でお話会があることを教えて頂きました。
自分と向き合うことから「子育ち」や「共育」に目を向けることになったこの数年ですが、ここへきてその始まりの儀式であるお産という大切なイベントに目をむけ、思いを寄せる機会がやってきました。
女性に関わるでき事として、結婚、妊娠、出産、子育てはそれぞれで見るのではなく全てが繋がり、複雑に絡み合っている。 また教育システムに見られる問題と同じように、この日本社会で多くの方が共有して持っている、「幸せ」に対する価値観は大きく女性の身体にも影響してくる。全ては繋がっている。社会の歪みは私たちの身体に大きく影響してくる。
病院でのお産はそこの医療従事者が妊産婦に対しどのような意識で関わってくるかに大きく影響されます。「医者=偉い」 という考え方で専門的な見解だけを考慮に入れるような病院ではお母さんのためになる心身のケアをすることは難しいということでした。そうなると、心ない言動や、配慮ないシステム、やり方で女性にとってお産は悲惨な体験にもなってしまいます。 そしてその体験はトラウマにもなり得ます。潜在意識の中でそれを引きずってしまう場合もあり、そこから抜け出せないでいると子育てやその後の人生にも大きく影響が出てくることになります。本当に全ては繋がっています。
「産科暴力」という言葉があるそうです。産科では、女性の立場が低い日本社会の「闇」が垣間見られるような問題が起こっているというお話でした。教育システムと同じように当たり前、普通と思わされていることにも大きな問題があるということ。「普通だから、当たり前だから」という言葉に疑問を持つこと。医療機関で普通に課されることは、実は「人権侵害に値することにもなり得る」のだそうです。「なんかおかしい」「それは嫌だ」と思ったら声を上げることが大切です。「自分で考えること」がここでもとても大切だなぁと感じました。
お産の現場で妊婦さんにとって本当に頼れるのがバースドゥーラという存在です。助産師ではなく、医療従事者ではなく、妊婦の心に寄り添ってくれる存在です。
「情緒的支援」「身体的支援」「情報的支援」「擁護的支援」「実質的支援」そして「社会的支援」と様々な角度から目の前の女性に必要となる支援を汲み取り、実施してくださるということです。なんて頼もしい!
「あなたは女神、あなたのからだは聖地」という意識で出産前後の時期を並走し、見守ってくださる。そういう存在が一人ついてくれたら、女性にとってお産は辛く苦しい体験ではなく、本当に素晴らしい体験になり得るでしょう。
「なんかおかしい、それは嫌だと思ったら声を上げる」この意識は女性にとって見えない性被害を受けない為にも本当に大切です。繊細な話になりますが、声を上げず我慢してしまいがちな女性も多いのです。自分を本当に大切に扱ってください。我慢は美徳ではありませんし、声を上げることはわがままでもありません。「本当の声に耳を傾けましょう」
お話の中で、最終的にやはり共通の大きな問題が語られていました。
日本で大切に行われてきた産婆さんによる自宅出産をなくし、医療機関でのお産を勧めて行ったのもGHQだったそうです。表向きは最新医療の普及だったのかもしれませんが、その裏で大切なものを、巧みに取り除いていったのは神社信仰や、食に関して行われた改革と同じだったのでしょう。
知識として知ること、そして「この身体を自然そのものとして理解し現れるメッセージを丁寧に拾っていくこと」がとても大切だなぁと思いました。今後大切な選択するかもしれない娘と一緒にお話を聞けてよかったです。
章鼓さんありがとうございました。
坂田マサコさんの「里山の持続可能性を探るワークショップ」(2024,7/18)
ご縁でした。
里山のことも坂田マサコさんのことも知らなかったので、とても新鮮な体験でした。
自然の一部として自然と共に暮らしたいという思いはあったのだけれど、「どういうふうに関わっていけばいいのだろう?」と周りを見渡してはぼんやりと考えるだけでした。トーキョーコーヒーの活動としても自然の中に入ることを取り入れたかったのだけど、どういう活動ができるのかな?したいのかな?というのが湧いてこなかったところに降ってきたご縁でした。
我が家からそう遠くないところにある「秋澤農園」周辺の里山での見立てワークショップ。
始まりの挨拶でマサコさんの語ってくださったお話を聞いて、里山再生活動は子どもたちに対峙するのと似ているなぁと感じました。
・人間が全てを整えるわけではない
・自然の治癒力、生命力を信じ、その邪魔になるものを取り除いたり、少し整えたりするだけであとは自然に任せる
・自然の声、メッセージに耳を澄ませる 繊細な観察力が必要
それは本当に子育てと同じ・・・・
不登校の息子に対峙した時、息子の声に耳を傾け、見守ること、望みを叶えるための手助けをし、選択肢は提示しましたが、全ては彼の意思で、自分で決めて動き始めるまでゆっくり待ちました。まずは自分と向き合う時間が必要だった。問題の原因となりそうな「心の状態」には共に向き合い話し合う中で少しずつ整っていく・・・そして失敗も成功も大切な経験なので、邪魔をしないように後はただ安心していられる環境を作っていったのでした。
と言っても最初はあたふたあたふた・・・何かしなければと右往左往でした。そんな最初からどんと座ってはいられなかったなぁ・・・それもやりながら_色々わかってきた。
「アナスタシア」でも出てきましたが、生まれたての赤ちゃんは直接宇宙と繋がっているそうです。現代の日本社会では、知らないうちに植え付けられた固定概念を握りしめている私たち大人が、子供たちを「未発達の幼きもの」として認識し育ててしまうと、その子の本来備わっている才能や感性を壊し、間違った概念を植え付けてしまうことにもなりかねないと思います。
それはまるで、人類が山や海、森に対して行なってきたことにも似ている・・・
そしてマサコさんの里山に対する見立てはまるで母のような目線。温かく、愛情たっぷりに全ての生き物を見守る。森の母 そんな風に感じました。
私の憧れる「西の魔女が死んだ」という映画のお婆さんも自然を慈しみ自然と共に暮らし死んでいきました。あんな風にありたいと思い自然の多い場所に暮らすことを夢見てきましたが、ことごとく違う事になり、今は住宅街のど真ん中に住んでいる。今ここに在る意味を感じてみようと思う。
私=自然
つい先日、久しぶりの古い友達のライブに行ってきました。
彼女と一緒にバンドをしていたのはかれこれ20数年前、何を隠そう私が出産についての色々を学んだのは母親からではなく、彼女からでした。
幼い子を持ちながら逞しく我が道を行く彼女はとても素敵で、面白くて自然体でみんなが吸い寄せられていく。そんな歌い手さんでした。
自然分娩、助産院、助産婦さんの素晴らしさ、お産のエクスタシーについて面白おかしく語り尽くしてくれたのでした。
若い頃そんな話をしてくれる人がそばにいたのは本当にラッキーだった。妊娠する前にそんな話を聞き、妊娠してからも幾度となくお産の話を聞き、産後2ヶ月でライブステージに立たせてもらった。
今思うとこんなにお産について学べたのは彼女のおかげ。自分自身の身体について、女性の身体の神秘について、性について、包み隠さず、面白おかしく生の話を聞かせてくれた。ある意味バースドゥーラのような存在だったなぁ。と思う。
バンド仲間という枠を超えて魂の家族だった。自然の中で歌い、遊び、人の目を気にせず自分であれたあの頃。
動物=自然物としての自分を思い出すことができた。自分の声が聞こえていたのだと思う。
一時それを全て忘れてしまったかのような生活を送っていた。囲われた概念、価値観にも気付かずただただ外側からの要求に応えるような自分のない生活。よき母になるために、よき妻になるために、我慢と忍耐・・・・
私はそんな窮屈なところから大きく伸びをするように自分を取り戻していったのだけれど、地球も同じなのではないかな。
窮屈になって不自然な形に違和感を持って、ちょっと伸びをしてスッキリしようとしている。私も同じ気持ちだったからよくわかる。
そんな自然と一体で在る我が身に聞けばいい。今これは本当に私のしたいことなのか?何がしたいのか?
「私=自然」 それを思い出してみれば、不自然なことがいらなくなって整っていく。自分の中の声に気がついてくる。
そっちの方がずっと楽しくて、ワクワクするのだ。
目の前で繰り広げられる物語、全てがメッセージ。しかも全部同じ事を言っている。
あなたに会えて幸せです。愛しています。ありがとう