全ては繋がる

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友人がくれたもの

 つい先日、古い友人が亡くなりました。5歳年下だったけどそんな風には感じない人で、むしろ他の誰よりも上の方から皆を眺めているかのような感じさえする人でした。戯ける彼女しか思い出せないのは本当にいつも笑顔で、人を笑かすような人だったから。そして魂とか心とかで私の歌を受け取ってくれる人でした。大好きな人。

うちの下の二人の子供達と同じ世代の子供達がいて、仕事も自分の思う事を現実にどんどんやっていたと思います。最近はあまり連絡取ることはなかったけど、彼女の頑張りは遠くから見ていた。最後にあったのは2年も前になります。またそのうちに・・・と思っていると会えなくなる時もあるというのを身にしみて知らされました。

 今回同世代の大好きな友人が亡くなった事で、「死ぬ」と言うことについてとても深く、鮮明な感覚として受け取ったみたいです。頭で、わかっていた「死は終わりではない」と言う感覚がより確かなものとして私の中にインプットされました。

 身体は借り物であり、死を迎えることでそれをお返しする、そして私たちの魂はこれまでと同じように続いていくのですが、それはつまり、今身体を持っているこの瞬間もそのもとのエネルギーである私達が本当の私達の姿だと言うことです。この3次元の世界で身につけた感覚や考えよりもずっと大きくて凄まじいエネルギーである「真我」とか「ハイヤーセルフ」と言われる私達の大元の部分です。本当はそちらが私達の真の姿ではあるのだけど、地球に暮らすにおいて、周波数をさげ、ここのルールを身につけ、ここでの身体をお借りし、全てを忘れる必要がありました。そのお陰で、善悪を体験し、苦しみや悲しみの体験ができてきた。その身体を脱いだ時、どんなに至福がくるのかを想像すると楽しみにすらなります。

 私が今回の悲報を聞いたのは、スタジオでライブのリハーサルの最中でした。2日前ほどから練習し始めたカバー曲にとても惹かれ、ちょっと取り憑かれたように練習をしていました。

悲報を聞いてから呆然とスタジオに戻り、またその曲を歌い始めた時、その曲の意味が深く深く私の魂に届き涙が止まらなくなりました。

「I feel Gravity あなたがいて いつか触れることができず 身体を離れても

I feel Gravity ロケットに乗って 走る星を探して 光の旅に出る」

あ〜これは彼女が私に歌って欲しい歌だったんだと気がつきました。それから何度も何度も時間が許す限りスタジオで歌い続け、時折涙を流しました。彼女の面影、笑顔がどんどん入ってくる。彼女が今幸せなところにいるのを感じました。

「おっ先に!」

と笑っているように感じました。

「まぶた閉じれば 今も笑っておどける人を胸にしまえば 心は愛で満ちてく」

亡くなってからこんなにも私に影響を与えた彼女の魂は今もここにある。

いずれ、私も同じところに行き、身体はお返しすることを肌で感じると、それまで、精一杯自分のやりたい事をするしかもう考えられなくなりました。そしてこの地球での遊びにもっとまっすぐに向かいたいと言う思いがふつふつと湧いてきました。

校長面談

 次の日、息子が久しぶりに地元の所属している中学校に行きました。

「校長面談」を受ける為です。

地元の中学校にはもうほとんど行っていない息子ですが、地域の「不登校時のための教室」には時々通っています。

そこの先生方に

「校長面談は高校行かないなら今後の人生ではないだろうし行ってみたら?」

と勧められたからです。私自身も直接先生から「ぜひ校長面談に行って話をしてくるように勧めて下さい。」と言われました。先生曰く、校長先生に息子の存在を知ってほしい。と言うことでした。

地域の不登校児のための教室には近隣のいくつかの小中学校から子供達が通ってきます。と言っても数は非常に少なく、いつも2、3人しかいません。学年が違う子供達がくるので、学校のような授業はなく、勉強の時間は皆自習になります。それ以外の時間は体験教室などの学年を問わない内容になっています。うちの息子の場合は「釣り教室」「料理教室」「心理クイズ」「運動」などの他、救急救命士さんがきて、心肺蘇生法やAEDの使い方を学んだりする会等に出席しています。それから月に1度の心理面談があり、心理士さんとお話をするのですが、息子はそれが大好きです。まるでお友達に会いにいくように喜んでいきます。

こちらの教室には学校に馴染めなかったり、何かの事情で学校に行けなくなった子供達がきています。人と話すことが苦手な子が多く、息子のような子はとても珍しいようです。なので重宝されます。よく喋り、皆を和ませるので、他の子も心を開くようになるそうです。行く予定の日に行かなかったり、連絡してなかったりと(これは私が忘れてしまうのです、すみません!)迷惑かけることも多いのですが、先生方はとても温かく、息子の良さを認め、目一杯引き出してくれるのです。本当にありがたいです。

 その先生方に勧められて「校長面談」に行く気になった息子でしたが、制服を切るのを嫌がり私服なら行くと言い出しました。私も私服でも良いかなと思ったので学校に連絡し、校長先生に許可を得て私服登校になりました。校長先生が

「まだ会ったことがないから是非会いたいので私服でもいいですよ。」と言って下さったのです。

学校に着くと、すぐ校長室に通されました。私も入って話を聞きたかったのですが、息子に断られて廊下で待つことに。でもしっかりドアのところで聞き耳を立てておりました。笑。

これまでに何度も自分の人生について私も含め色々な人に聞かれ、考えてきているので、息子はスラスラと自分のやりたい事を校長先生に伝えていました。そこには高校へ行くと言う選択はもうありません。もちろん15歳の少年の言う事なので、思慮が足りなかったりする部分もあるのですが、校長先生は全部うんうんと聞いてくれていました。そして卒業式は出なくとも、卒業証書は校長室に取りきてほしいので「考えてみてね」と言われたそうです。

その後の担任との三者面談も私服で受け、そこで校長先生はいい人だったと嬉しそうに話していました。それに対して担任の先生は、今の校長先生は今までの校長と「毛並みが違う」と言う表現をしていてとても好意を抱いているのがわかりました。学校も変わりつつあるのかなと思い嬉しくなりました。

 ここにも希望はあると感じました。

悲しいニュースを見る

その次の日、私は本当に珍しくニュースを見ました。母に見た方がいいと言われ、普段なら私はいいよって断るところを、何故かその日は母の部屋へ上がって行きました。

そのニュースは精神科の病棟が子供の入院患者でいっぱいで、必要な子供を入院させられない状態があると言うものでした。

もちろん私はそのニュースに対し怒ったり悲しんだり、母と現状を嘆いたりはしませんでした。それはその現実にエネルギーを注ぐだけであると知っているからです。

静かに、そのメッセージをどう受け取ろうかと自分に聞いていました。ふつふつと湧き上がる何かが確実にありました。「私にできる事があり、それをしたいと強く思っていました。」

メッセージの意味

 この3日間に起こった事を並べてみたのですが、この全く関係ないような出来事は全て意味があり、私に対するメッセージであることを知ってます。そして私はパズルのように周りにあるピースを見つけてはそれを繋げていく。

それは私にとっての喜びであり、実は使命感などではないのです。そうしたくて仕方ないのです。

純粋にしたい事だけをしている。その流れの先にある未来が私にはなんとなくだけど見えている。

 ワクワクと一つ一つ繋いでいく。まずは歌を歌おう!

最後まで読んでくださりありがとうございました。

感謝。

Love  Midori

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